nana_tkのdiary

東京都在住アラサー→アラフォー女性の日記です。

展覧会/アート

はじめての焼物

えーっと、10月末に友達と行った温泉地で、初めて陶芸体験をしてまいりました。

焼きあがったやつが届きまして、こないだ友達と鑑賞会をしました。私の作品(作品っていうほどのものでもないけどね…)は、茶碗と花瓶と小皿。小皿が一番出来がよく。気合いれないでシンプルにつくったのがよかったみたい。ピーナッツとか甘納豆をちょっと置くのに使えそう。

で!花瓶なのですが。
非常にアバンギャルドな仕上がりになりました(泣)
星型の花瓶にしたつもりだったのですが。
友達の第一声、「デビルマンみたい!」「邪悪な気が漂ってる!」…
正直、否定できません(笑)。
なんていうか、深い緑色なのです。で、表面がなめらかではないので
釉薬がまだらについていて茶色の地色が出ている部分も。
それがデビルマンの緑色の筋肉っぽさを感じさせるのでしょう。

といいつつ、こないだ家のお茶碗を割ってしまったので、丁度よかったかも。でも使い勝手が悪い。せめてもちょっと使い勝手のいい形にすればよかったよ…

花瓶 でも友達がセンスのいいお花を買って来てくれました お陰で花瓶として機能することが判明(笑)。

琳派展

昨日、「琳派展」行ってきました。
終了3日前ということで、平日なのに混んでました。
オーディオガイドも出払っていたり。

作品はとにかく素晴らしかった!
ホント、ずーっと眺めていたいくらい。
でもどの絵も黒山の人だかりで全体像を見れない。。。。(涙)
クリムトやマティスの油絵が霞んで見えたくらい良かったな。

やっぱり日本の季節感覚は本当に素晴らしい。
いいです。ホント。季節感のない暮らしをしているのでなおさら。

和風の部屋に住みたいと思う今日この頃。。

マティス展

昨日、マティス展初日に行ってきました。
お正月から楽しみにしていたもので、
120もの作品が来ていてすごかったです。

個人的には、切り絵の作品がよかったです。

マティス展ホームページ

私のホームページにも感想のページを作りました。
リンク

やはりマティスの作品は続きを読む

国吉康雄展に行くべきか????

最近の悩み事。

先日の「日曜美術館」で国吉康雄の特集を再放送していました。東京で春展覧会をやってたのに、チケットまで買っていたのに!もろもろ精神的身体的に行けずに終わってしまっていた・・・。
晩年の作品「ミスターエース」がどうしても見たかったのですが・・・。TVで見てもあのインパクトなのだから、本物は・・と思ってたのですが。

でも、なんと、名古屋でやっているとのこと。9月26日までとのこと!ここ1週間ずっと悩んでいます。行くべきか、やめるべきか?でも、出品リストを見るとこれだけの作品が集まるのは日本ではもうないかも・・。。どうしよう?

展覧会ホームページ

楽焼

京都のこと追加。

楽美術館にて、楽焼の歴史を見て来ました。

「手のひらの中の宇宙」とHPには書いてありましたが、まさにその素晴らしさが理解できた展示会でした。

楽美術館ホームページ

もともと、お濃茶というより形式ばったお席では楽茶碗を使うことになっているのですが、「楽茶碗」ってどこがすごいの??と正直よく分かりませんでした。確かにすごそうだけど、ただ黒いだけのお茶碗(赤楽といううすい赤茶のものもありますが)なのに・・などと(笑)。きれいな模様の付いてる方が好き!なんて思っていましたが。
でも楽茶碗のすごいところは、
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「きわめてよいふうけい」

表参道Naddifにて、開催されていたホンマタカシ氏の「きわめてよいふうけい」写真展を見て来ました。

Nadiffの展示スペースはとても小さいので、本当にちいさな写真展。でも、大きく引き伸ばされた写真はやはりすばらしいです。

伝説の写真家、中平卓馬氏を撮影した写真展です。同時に写真集も発売されています。

きわめてよいふうけい―SHORT HOPE 中平卓馬続きを読む

マン・レイ展見学記 @Bunkamura Musium

写真好き、と自称している割には大物写真家を知らない私。

すこしずついろんな写真家の写真を見に行こうと思っていた矢先にBunkamuraでマン・レイの写真展が開催されているのを知りました。今日は会社がお休みだったので、早速見に行ってきました。

マン・レイといえば、マルセル・デュシャン、というか、私はデュシャンのポートレイト写真を見て、彼の名前を知りました。そのポートレイト写真にとても独特なパワーを感じたのを覚えています。写されている人の存在の哀しさ、のようなものが写されていて、ただそのものを写すはずの「写真」というものの威力に驚きました。

今回写真展に行ってみて初めて知ったのが、「マン・レイ」というのが芸名(?)だったということ。「光の人」という意味の言葉だったのですね。彼の撮った写真を見ていると、本当に「光と影の芸術」を作り出した人なんだな、と感じました。彼が活躍した時代は、まだ写真が進化途上にある20世紀の前半。もちろんモノクロ写真の時代です。

彼は元々、芸術作品を記録に残すために写真を撮り始めたそうですが、その後、生活のためにいろんな人物(とくに芸術家)のポートレイトを撮っていました。今回、20世紀アートの中でも有名人ばかりの展示で驚きましたが、本当にこのポートレイトが味があるんですね。ちょっとした顔の角度だったり、撮影のアングルだったり、ということなのですが、その人の雰囲気がもっとも良く現われる撮り方をしていると感じます。彼の写真を見ていると、おそらく現在のポートレイト写真のアングルのテクニックはきっとマン・レイから来ているんだろう、と思わせるようなほど、完成度が高いんですね。また、この時代の写真の特色なのでしょうか、白黒写真にとても味があります。

それがマン・レイ特有の静的でクールな感じと絶妙に混じり合っています。被写体の静の層だけを取り出して、そのまま凍結させて印画紙に焼き付けた感じ。それが、その人や物の存在を浮き彫りにしていて、とても心に染み入りました。写真がまだ技術的には発達していなくても、これだけのものが撮れる、というのはやはりツールとしてのカメラだけの力だけではなく、マン・レイの人を見る眼の素晴らしさがあってこそのものだと感じました。

カンディンスキー展見学記 @国立近代美術館

カンディンスキーはもともと特別好き、というわけではなかったのですが、好きな抽象画の元祖ともいうべき画家、ということもあり、本物で見てみたいな、という気持ちは持っていました。そこで、会期も終わりに近づいた先日、カンディンスキー展に行ってきました。実際作品を見てみると、あまりの迫力にすっかりファンになってしまいました!

今回の展覧会は1910年代いっぱいまでの前期の作品を集めたものでした。 みどころは、なんといってもComposition VI(1913年) とComposition VII(1913年)。 前期ミュンヘン時代のクライマックスともいうべき作品です。

私が作品から受けた印象は、とにかく絵の中にドラマがある、ということですね。

表現されているものは、分かりやすい具象のものというよりかは、抽象的な線や形なのですが、左手から右手に至るダイナミックな流れとともにドラマチックな展開があります。その流れを感じるときに浮かぶ感情は世紀末的な世界の大変動と、それに伴う恐怖感、絶望感とでもいいましょうか。ただの線や色の表現なのに、こんな感情を掻き立てるのはなんでだろう?と不思議に思うと同時に、カンディンスキーという画家の力量のすごさを感じました。解説を読んでみますと、この絵の出発点は「ノアの洪水」だそうです。

カンディンスキーは何点もの習作を書いていますが、初期の習作では逃げ惑う動物たちの絵が描かれています。
ただ、カンディンスキー自らの解説によると、最初はこのノアの洪水のイメージから、その印象を抽象的に抽出しようとしたようなのですが、なかなかうまくいかなかったそうです。そこから、その後はモチーフの形態を序々に解体していくようなアプローチとは別のアプローチがとられたりしたようです。

このコンポジションVIにはカンディンスキーの様々な表現の手法が取り入れられているのですが、それはカンディンスキーが現実世界には決して存在しない抽象的な世界を描き出すためのものだったのですね。この作品から受ける、荘厳で重々しく暗いドラマチックな印象は、初めのノアの洪水そのものを表現しているわけではないのですが、実はその話から受けるもっと広い意味での印象や感情だけを取り出している、ともいえると思います。そういう意味で、カンディンスキーは、抽象的な表現で感情を表現することに成功しているんだな、と感じます。

ここで、このコンポジションVIについてのカンディンスキー本人の言葉を引用します。(自伝的著作「回想」より)

「こうしてすべての要素、そして相互に矛盾しあう要素までも、完全な内面の均衡に変えられ、その結果、いかなる要素も優勢を獲得することなく、絵の成立の動機(ノアの洪水)は解消されて、内面的な、純粋に絵画的で、独立した客観的な存在に変換されるのである。この絵がひとつの事象の描写であるということほど、誤ったことはないだろう」

ここに書いてあるとおり、コンポジションVIは単なる一つの物語の描写ではない、というわけですね。むしろ、より高い次元において、黙示録的な世界観、世界の終末や破壊といったもの、そしてそこから受ける内面の感情の動きを表現した絵画であると感じます。


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■ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky

1866年、モスクワ生まれ。「抽象画の父」とも言われる。

初期にはドイツのミュンヘンでの「青騎士」運動など、積極的な活動を行うが、
1914年に第一次世界大戦とともにロシアに戻る。しかし1921年には革命政府との考えのくいちがいが生じ、
翌年ワイマールのバウハウスに教授として招かれたためロシアを離れる。
その後は幾何学的形態を前面に押し出した構成主義の影響を受けつつも、生命体を思わせるような有機的な抽象画を描いている。
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MOMA ニューヨーク近代美術館名作展 @上野の森美術館

MOMA展に行ってきました。

これはNYのMOMAが改修中ということで実現した、最大規模の展覧会だそうです。確かに、実際見に行ってみると、現代アートの教科書に載っている作品がザクザクと!一つ一つが超名作ぞろいなので、こんな機会はまたとないだろう、と妙に納得してしまうのでした。行ったのが最終日前の金曜日だったのですが、なんと1時間半待ち!でも、2月の寒い木枯らしのふく中、外で待った甲斐があったと思います。

それはともかく、1月に現代アートの本を読み始めてから、初めての名作との直接の出会い、でした。やはり実物を実際の大きさで眼にすることのすばらしさを感じました。好きなアーティストの作品はたくさんあったのですが、今回は一番感動した マティスの「ダンス(第一作)」について書きたいと思います。

■絵画と一期一会の出会いを感じた

会場に入ると、正面にマティスのダンスが、どーんと飾ってありました。

どーんと、というのは、実はこの作品はとっても大きく、壁一面の大きさ、といってもいいほどなのです。(縦2.5m×横3.9m)それだけで、迫力はたいしたものです。思わず息を飲む、とはまさにこのこと。色彩の美しさ、と筆致の躍動感、と具体的に感動する部分はたくさんあるのですが、やはり、絵画そのもののたたずまいが堂々と躍動感にあふれている、ということですね。ただの絵という「物」のはずなのに、生命が吹き込まれているような印象がありました。まずは、こんなすばらしい芸術作品をつくったマティスの凄さに驚嘆する、ということと、こんな作品と出会えたことがホント嬉しい、ということを感じました。

そもそもこの絵は1909年にパリで展示されていらい、100年弱も世の中に存在しているもの。おそらく、今後もずっと大切にされ、何十年もきっと変わらず存在していくのでしょう。それがたった30年弱しか生きていない私とある一地点、一時点で出会ったということなんですよね。おそらく私がこの絵を見れるのは、今後そんなに何度もないでしょうが、今、自分がアートに興味を持って足を運んだ、という行為のおかげでこの作品と出会えたんだなあ、と感じました。そう思うと、絵との出会いも縁というか、一期一会の出会いなんだな、という気がしましたね。


■作品発表時は非難を浴びた作品

図録によると、この作品の最終作品<ダンスII>は、「単純化された人体は、不適切、ないしことさらに粗野であるとの非難を浴びた」そうです。作品の極端なまでの平坦さは遠近法や短縮法を無視している、ということで、悪名高い作品だったそうです。もともとマティスは、フォービズムの流れの中で出てきた画家なんですね。フォービズムも「野獣派」と訳されていますが、これまでの絵画の常識をぶち破った流れだったわけです。 その代表格であるマティスはとても革新的な精神の持ち主だったと想像します。(実際、マティスについては私自身、伝記等読んだことがなくて、聞きかじりの知識なのですが)

当時、この絵画の方法論がどんな非難を受けたとしても、この作品が名作として多くの人に感動を与えたのは事実ですね。だから現在まで大切にされ多くの場所で展示されている。この作品から受ける、生命の躍動感、歓喜と活力は、時代を超えて人々の心に感動を与えているんですね。正直なところ、この絵を見たとき感じたのは、「こんなすばらしい絵を描く才能があるマティスって言う人が存在した、ということは、その才能を与えた神様って実は存在するんじゃないか?」ということでした。同じ人間なのに、絵の技量がすごいだけでなく、作品にスピリチュアルなエネルギーを与えるだけの力がある、というのが不思議で仕方がない。天才、と言ってしまえばそれまでですが天才の力のすさまじさを見せ付けられた、という気がします。正直いってこの作品の前から離れるのが残念でした。

他の作品を見た後も、何回も戻ってきて鑑賞しました。そのときの高揚感、絶対忘れないと思います。やはり本物の色はすばらしい、光を含んだみずみずしい色彩なんですね。(だから本物をみる価値があるんだと思いますけど(^_^))


たった1ヶ月、ちょこっと本を読んだ後の名作鑑賞。でもちょっとでも知識があると、感覚が開かれてきてるのを実感しました。普通知識は、感性をじゃまする、と思われていますが、私の場合はそうではなかったですね。本を読んだときは、作品の背景や文脈、画家の想いやエピソードなどに面白さを感じていたのですが、実際、作品を眼にすると、そうした知識と、目の前にある作品のパワーがうまく昇華されて、これまでなかった感動が生まれてきました。自分の感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じた展覧会でした。
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