MOMA展に行ってきました。

これはNYのMOMAが改修中ということで実現した、最大規模の展覧会だそうです。確かに、実際見に行ってみると、現代アートの教科書に載っている作品がザクザクと!一つ一つが超名作ぞろいなので、こんな機会はまたとないだろう、と妙に納得してしまうのでした。行ったのが最終日前の金曜日だったのですが、なんと1時間半待ち!でも、2月の寒い木枯らしのふく中、外で待った甲斐があったと思います。

それはともかく、1月に現代アートの本を読み始めてから、初めての名作との直接の出会い、でした。やはり実物を実際の大きさで眼にすることのすばらしさを感じました。好きなアーティストの作品はたくさんあったのですが、今回は一番感動した マティスの「ダンス(第一作)」について書きたいと思います。

■絵画と一期一会の出会いを感じた

会場に入ると、正面にマティスのダンスが、どーんと飾ってありました。

どーんと、というのは、実はこの作品はとっても大きく、壁一面の大きさ、といってもいいほどなのです。(縦2.5m×横3.9m)それだけで、迫力はたいしたものです。思わず息を飲む、とはまさにこのこと。色彩の美しさ、と筆致の躍動感、と具体的に感動する部分はたくさんあるのですが、やはり、絵画そのもののたたずまいが堂々と躍動感にあふれている、ということですね。ただの絵という「物」のはずなのに、生命が吹き込まれているような印象がありました。まずは、こんなすばらしい芸術作品をつくったマティスの凄さに驚嘆する、ということと、こんな作品と出会えたことがホント嬉しい、ということを感じました。

そもそもこの絵は1909年にパリで展示されていらい、100年弱も世の中に存在しているもの。おそらく、今後もずっと大切にされ、何十年もきっと変わらず存在していくのでしょう。それがたった30年弱しか生きていない私とある一地点、一時点で出会ったということなんですよね。おそらく私がこの絵を見れるのは、今後そんなに何度もないでしょうが、今、自分がアートに興味を持って足を運んだ、という行為のおかげでこの作品と出会えたんだなあ、と感じました。そう思うと、絵との出会いも縁というか、一期一会の出会いなんだな、という気がしましたね。


■作品発表時は非難を浴びた作品

図録によると、この作品の最終作品<ダンスII>は、「単純化された人体は、不適切、ないしことさらに粗野であるとの非難を浴びた」そうです。作品の極端なまでの平坦さは遠近法や短縮法を無視している、ということで、悪名高い作品だったそうです。もともとマティスは、フォービズムの流れの中で出てきた画家なんですね。フォービズムも「野獣派」と訳されていますが、これまでの絵画の常識をぶち破った流れだったわけです。 その代表格であるマティスはとても革新的な精神の持ち主だったと想像します。(実際、マティスについては私自身、伝記等読んだことがなくて、聞きかじりの知識なのですが)

当時、この絵画の方法論がどんな非難を受けたとしても、この作品が名作として多くの人に感動を与えたのは事実ですね。だから現在まで大切にされ多くの場所で展示されている。この作品から受ける、生命の躍動感、歓喜と活力は、時代を超えて人々の心に感動を与えているんですね。正直なところ、この絵を見たとき感じたのは、「こんなすばらしい絵を描く才能があるマティスって言う人が存在した、ということは、その才能を与えた神様って実は存在するんじゃないか?」ということでした。同じ人間なのに、絵の技量がすごいだけでなく、作品にスピリチュアルなエネルギーを与えるだけの力がある、というのが不思議で仕方がない。天才、と言ってしまえばそれまでですが天才の力のすさまじさを見せ付けられた、という気がします。正直いってこの作品の前から離れるのが残念でした。

他の作品を見た後も、何回も戻ってきて鑑賞しました。そのときの高揚感、絶対忘れないと思います。やはり本物の色はすばらしい、光を含んだみずみずしい色彩なんですね。(だから本物をみる価値があるんだと思いますけど(^_^))


たった1ヶ月、ちょこっと本を読んだ後の名作鑑賞。でもちょっとでも知識があると、感覚が開かれてきてるのを実感しました。普通知識は、感性をじゃまする、と思われていますが、私の場合はそうではなかったですね。本を読んだときは、作品の背景や文脈、画家の想いやエピソードなどに面白さを感じていたのですが、実際、作品を眼にすると、そうした知識と、目の前にある作品のパワーがうまく昇華されて、これまでなかった感動が生まれてきました。自分の感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じた展覧会でした。