カンディンスキーはもともと特別好き、というわけではなかったのですが、好きな抽象画の元祖ともいうべき画家、ということもあり、本物で見てみたいな、という気持ちは持っていました。そこで、会期も終わりに近づいた先日、カンディンスキー展に行ってきました。実際作品を見てみると、あまりの迫力にすっかりファンになってしまいました!

今回の展覧会は1910年代いっぱいまでの前期の作品を集めたものでした。 みどころは、なんといってもComposition VI(1913年) とComposition VII(1913年)。 前期ミュンヘン時代のクライマックスともいうべき作品です。

私が作品から受けた印象は、とにかく絵の中にドラマがある、ということですね。

表現されているものは、分かりやすい具象のものというよりかは、抽象的な線や形なのですが、左手から右手に至るダイナミックな流れとともにドラマチックな展開があります。その流れを感じるときに浮かぶ感情は世紀末的な世界の大変動と、それに伴う恐怖感、絶望感とでもいいましょうか。ただの線や色の表現なのに、こんな感情を掻き立てるのはなんでだろう?と不思議に思うと同時に、カンディンスキーという画家の力量のすごさを感じました。解説を読んでみますと、この絵の出発点は「ノアの洪水」だそうです。

カンディンスキーは何点もの習作を書いていますが、初期の習作では逃げ惑う動物たちの絵が描かれています。
ただ、カンディンスキー自らの解説によると、最初はこのノアの洪水のイメージから、その印象を抽象的に抽出しようとしたようなのですが、なかなかうまくいかなかったそうです。そこから、その後はモチーフの形態を序々に解体していくようなアプローチとは別のアプローチがとられたりしたようです。

このコンポジションVIにはカンディンスキーの様々な表現の手法が取り入れられているのですが、それはカンディンスキーが現実世界には決して存在しない抽象的な世界を描き出すためのものだったのですね。この作品から受ける、荘厳で重々しく暗いドラマチックな印象は、初めのノアの洪水そのものを表現しているわけではないのですが、実はその話から受けるもっと広い意味での印象や感情だけを取り出している、ともいえると思います。そういう意味で、カンディンスキーは、抽象的な表現で感情を表現することに成功しているんだな、と感じます。

ここで、このコンポジションVIについてのカンディンスキー本人の言葉を引用します。(自伝的著作「回想」より)

「こうしてすべての要素、そして相互に矛盾しあう要素までも、完全な内面の均衡に変えられ、その結果、いかなる要素も優勢を獲得することなく、絵の成立の動機(ノアの洪水)は解消されて、内面的な、純粋に絵画的で、独立した客観的な存在に変換されるのである。この絵がひとつの事象の描写であるということほど、誤ったことはないだろう」

ここに書いてあるとおり、コンポジションVIは単なる一つの物語の描写ではない、というわけですね。むしろ、より高い次元において、黙示録的な世界観、世界の終末や破壊といったもの、そしてそこから受ける内面の感情の動きを表現した絵画であると感じます。


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■ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky

1866年、モスクワ生まれ。「抽象画の父」とも言われる。

初期にはドイツのミュンヘンでの「青騎士」運動など、積極的な活動を行うが、
1914年に第一次世界大戦とともにロシアに戻る。しかし1921年には革命政府との考えのくいちがいが生じ、
翌年ワイマールのバウハウスに教授として招かれたためロシアを離れる。
その後は幾何学的形態を前面に押し出した構成主義の影響を受けつつも、生命体を思わせるような有機的な抽象画を描いている。
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